犬が苦手だった僕と、コロとの出会い

1981(昭和56)年、僕がまだ子供の頃。札幌に住んでいた我が家に、「コロ」という名前の雑種犬がやってきました。
とはいえ、見た目はほぼ柴犬。(お母さんは純粋な柴犬)
まるで今の「まる」に続くような、不思議な縁を感じる存在でした。
当時、母はヤクルトの配達をしていて、あるお客さんから「仔犬が生まれたけど、要りませんか?」と聞かれたそうです。
その話を受けて、「犬、飼いたいかい?」と母に聞かれた僕は、迷うことなく「飼う!」と答えました。
実は、その時の僕は犬が苦手でした。
飼い主さんから、牛乳を飲めるようになったら連絡すると言われ、その日を心待ちにしていたことを今でも覚えています。
やがてその日が来て、コロは家族の一員になりました。
大雪の日も台風の日も、朝6時の散歩
家族会議で、コロの朝の散歩は僕の担当に決まりました。
それから毎朝6時、雨の日も、台風の日も、大雪の日も、眠い目をこすりながら散歩に行ったのです。
ただ、コロは僕にはあまり懐いてくれず、触ると噛まれることもしばしば。今も手には、その時の傷跡がうっすらと残っています。
それでも、たまに僕の部屋に入ってきたり、隣に寄り添ってくれると、とても嬉しかったのを覚えています。
高校に進学してからは、学校が遠くなり、部活の朝練もあって、散歩もできなくなっていきました。
そして大学進学で、東京で一人暮らしを始めることに。
それ以来、コロとはなかなか会えなくなっていきました。
けれど、大学1年の夏、父の転勤で家族が埼玉に引っ越してきて、再びコロと近くで暮らせるようになりました。
とはいえ、僕は学業とフリーランスとしての仕事に忙しく、実家に顔を出すことも減っていきました。
そんなある日、母との電話の中で「コロもだいぶ歳を取ってきたよ」と聞き、何とも言えない気持ちになりました。
それでも、なかなか時間を作れず、気づけば長い月日が流れていきました。
別れの後悔と、胸に残ったあたたかさ
1997年12月、コロが亡くなった、という連絡が実家から入りました。
翌朝には火葬するとのことで、夜遅くでしたがすぐに実家に帰りました。
玄関には、段ボール箱にタオルに包まれたコロが静かに眠っていました。
硬くなって動かないコロを撫でながら、僕は「ありがとう」と「ごめんね」を何度も繰り返しました。涙が止まりませんでした。
もっと会いに行けばよかった。もっと一緒にいてあげたかった──。後悔ばかりが心に残りました。
何年経っても、コロのことを思い出すと涙が出ます。
あれからずっと、いつかまた犬を飼いたいと思っていましたが、独り身の自分には難しいだろうと、その気持ちはしまいこんでいました。
「まる」との出会いは、年の瀬のペットショップで
それから長い年月が経ち、2018年。なぜか急に、無性に犬を飼いたくなりました。
世話の大変さや、仕事への影響はわかっていましたが、それでも気持ちは抑えきれませんでした。
パートナーに相談すると、「飼ったことがないから、わからない」との返事。
それでも、年の瀬の12月29日、ふと立ち寄ったペットショップで、運命の出会いが待っていました。
柵の中にいた一頭の柴犬──少し大きめで、他の仔犬とは違う場所にいるその子が、なぜかとても気になったのです。
ただ、その日はそのまま帰りました。
帰る車内でも犬のことは気になり、「明日もう一度見にいきたい。」とパートナーに話しました。
生まれ変わりのように、そばにいてくれる存在
翌日、再び店を訪れると、その柴犬はまだ同じ場所にいました。
「抱っこしていいですか?」と店員さんに頼み、柵の外で抱っこさせてもらいました。
ゴソゴソ、モゾモゾと落ち着かないその小さな体を抱きながら、頭の中では不安や迷いが渦巻いていましたが──
それでも、勢いで「この子にします」と口にしていました。
店員さんが、その子に「よかったな」と声をかけてくれたのが、今でも印象に残っています。
箱に入れられた柴犬を膝の上に乗せて連れて帰り、家に着くと、ケージを組み立て、そっとその中へ。
不安そうな様子はなく、まるで「ここが自分の場所」とでも言うように、静かに横たわっていました。

それが、「まる」との出会い。
あれからもう7年経ちますが、今でもあの時のことを鮮明に覚えています。
あの時、思い切って連れて帰ってきて、本当に良かった。
今はまるで、「コロ」が生まれ変わって僕のそばに来てくれたような気がしています。
思い出しては悲しんでいた僕に、もう一度「犬との時間」をくれた存在──それが、「まる」なのです。
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